■ 量子幾何学


(1)Levi-Chivita(レビ・チビタ)平行移動

よく,「時空が曲がっている」という表現を耳にする。曲がっている割合を幾何学では「曲率」と呼ぶが,それを記述する一つの特徴的やりかたとして,その空間に存在するベクトルを,ある閉じた経路に渡って平行移動させ,元に戻ったときにそのベクトルがどう変化しているかということを測定する方法がある(Parallel Transportと呼ばれる)。これは一般相対性理論を構築する際にも使われた考え方であり,もし空間が曲がっていると,戻ったベクトルは元のベクトルとは同一にならない。これは,地球の曲率(丸いこと)を考えるのに際して,北極点で地面に平行なベクトルを経度0度に沿って平行移動(南下)し,赤道上を経度90度まで平行移動の後,再び平行移動にて北極点まで戻る場合を想定すれば良い。あきらかに戻ったベクトルは元のベクトルと90度の角度をなした方向を向いている。そして,この経路が作る三角形の内角の和は180度より大きくなっている。一般に,平坦な空間では三角形の内角の和は180度であるが,曲がった空間は180度ではない。凸に膨らんでいれば180度より大きく,凹にへこんでいれば180度より小さい。

また,この例で注意すべきは「地面に平行」という意味であるが,これは「地上にある点Pを想定し,Pと地球との接平面を考え,その平面上にベクトルが存在する」ということである。野球のボールを地球に見立て,その上に接している平面をイメージすれば分かりやすい。このように,球面においては大域的な平行移動は定義できず,定義可能なのは「球面上の与えられたある点Pから直線に沿って平行移動する(ボールの上を這っている蟻さんから見れば直線だが,人間が上から見下ろせば明らかに曲線)」ということである。これはLevi-Chivita(レビ・チビタ)により最初に導入された概念なので,LC平行移動と呼ばれている。

(LC平行移動の数学的表現)

LC平行移動を数学的に表現すると以下のようになる。一般に,3次元ユークリッド空間中の滑らかな曲面をΣとする。曲線上の点が一つのパラメータで記述できるのと同様に曲面Σ上の点は2つのパラメータ(u,v)で表すことができる。即ち,任意にとった原点Oから点Pまでのベクトルrは,r = r (u,v) = (x(u,v),y(u,v),z(u,v))であり,ru = (∂r/∂u), rv = (∂r/∂v)は曲面Σに接するベクトルであり,ruとrvの張る平面を接平面と呼ぶ。 r(u,v)が曲面を描くためには,ruとrvは一次独立でなければならない。

次に,曲面r上での曲線Cを考える。曲線は一つのパラメータで表せるので,原点Oからのベクトルをr(u,v),任意のパラメータを s として,
u = u(s), v = v(s)
で指定できる。曲線Cの始点Pは s = s0,C上の近くの点Qは s = s0 + Δs に対応するものとする。

ここで,点Pでの接ベクトルVを考える。これを通常の3次元ユークリッド空間の意味でQまで平行移動移動し,点Qの接平面に「射影」したものをV*とする。V*は点Qでの接ベクトルである。ΔV = V* - Vとし,Δs → 0の極限を考えた場合,ΔVが曲面Cに垂直であることをLC平行と定義する。即ち,通常の微分記号で書くと,d V / d s は曲面 rに垂直である。曲面rはru = (∂r/∂u), rv = (∂r/∂v)により張られているので,rに垂直とは[,]を内積記号として,

[ d V / d s ,(∂r/∂u) ] = 0,
[ d V / d s ,(∂r/∂v) ] = 0

と表すことができる。これがLC平行移動の数学的表現である。ru = (∂r/∂u), rv = (∂r/∂v)はsの変数であるから,結局上記の表現はV(s)に関する1階の常微分方程式と見ることができる。従って,始条件 V(s0)つまり点pを与えると一意に解が定まる。しかもd V / d sが曲線Cにそって垂直であるから,接平面上でのVの大きさやV1,V2のなす角度は等しいといった通常のユークリッド空間と同様な平行移動概念と似た性質を持つ。従って,LC平行性は点Pの接平面Tpを点Qの接平面Tqに合同に写像する。この写像をf(C)とする。一般には点Pの接平面Tpは点Qの接平面Tqとは平行移動+回転の関係にある。f(C)は平行移動の部分を受け持っているのである。

(2)平行移動による群;ホロノミー群

しかし,LC平行性は通常のユークリッド空間での平行性とは著しい違いを一つ持つ。それは終点Qは同じであっても,曲線Cが異なる,例えばC1,C2とすると,それに応じて異なった写像f(C1),f(C2)を定める。別の言い方をすれば,点Pか発して点Pに戻る閉曲線γを考えれば,TpからTpに写す合同変換写像f(γ)は一般的に恒等変換にはならない。f(γ)はTpのガウス曲率と閉曲線γにより定まる。

γ1とγ2を同じ点Pから出る閉曲線とし,γ1γ2はγ1にγ2を繋いだ閉曲線,γ1-1はγ1の逆回りの閉曲線とする。このとき以下の性質が成り立ち,f(γ)は群の性質を持つ。

f(γ1γ2) = f(γ1)f(γ2)
f(γ1-1) = f(γ1)-1

また,f(γ)の表現はパラメータsを含む連続群であり,従ってリー群(Lie Group)となる。このリー群をホロノミー群と呼ぶ。ホロノミー群f(γ)は接平面Tpのガウス曲率と閉曲線γにより定まるリー群である。重力場の場合,ループによる角度変化の曲率による寄与は,2* ガウス曲率 * ループ面積で与えられる。

(3)場の量子論での曲率

同じことをスピン(全体の大きさをjとする)を持つ量子について行えばどうなるであろうか?一般的には,空間の曲がり具合によって,戻った時のスピン状態は変化していると予想することができる。例えば,スピンUpの電子を考える。量子力学的に正確にいうと,戻った時はスピンUp状態とDown状態の重ね合わせ状態であるし,かつ電子が通過した電磁場の状況によっては波動関数の位相の変化もありうる。

そこで,このような量子を空間の曲率を調べる測定器(Probe)として使うことを考え,任意のループ(Loop;閉じた経路)に沿って平行に動かしてみる。ここでの空間は通常の3次元ユークリッド空間ではなく,量子の内部空間であることに注意して欲しい。内部空間とは理解しにくい概念であるが,例としては,量子力学のヒルベルト空間,スピン空間,アイソスピン空間,量子場理論におけるFock空間,ゲージ場等,実際の位置の観測とは直接関係のない空間である。これに対して,重力場で扱う空間は実際の空間である。

内部空間Σにおいて,点P(s)から点Q(s + ds)までの平行移動を考える。ホロノミー群の項で説明したように,平行移動したとしても,一般には点Qでの接平面Tqは点Pでの接平面Tpから回転していると考えられる。詳細は別途記載するが,取り扱っている空間がゲージ場やスピン空間の場合,接平面はリー群の接平面と見なすことができる。

SU(2)表現

そこで,リー群SU(2)を例として考える。SU(2)は,一般的なリー群GL(2,C)の部分群であり,以下の議論は殆どGL(2,C)においても当てはまる。GL(2,C)とはGeneral Linear(一般線形)群で,2次元マトリックス,マトリックス要素は複素数(Complex)である。SU(2)は2次元のユニタリー行列で行列式の値が1の行列の全体を指す。

UをSU(2)の一つの元とした時,U = e-iλ(A)と置くことができる。λはAを連続変数とする2次の行列である。こうすればユニタリー性UU=UU = 1は,λ(A)がエルミート行列であれば自動的に満足する。更に行列式が1という条件からλ(A)のトレース和はゼロである。このようなλ(A)は一般的に次のようになる。

λ(A) = ΣjAjσj

ここに,j= 1,2,3でσjは2次元のパウリ行列であり,

ij] = iεijkσk

εijk = 1 (i,j,kが偶置換)
εijk = -1 (i,j,kが奇置換)
εijk = 0 (上記以外)

という関係式を満足する。ここに,[X, Y] = XY - YXであり,交換子と呼ばれる。上記のような交換関係を満足するσjをリー群SU(2)に対するリー代数と呼ぶ。

一般的にリー群Gがあれば,それに対応したリー代数Lが存在する。
そして,リー群の元gは

g = Exp(AL) = Exp(-iΣjAjLj)  --①

と表すことができる。上記SU(2)の例では,g= U,AL= -i(ΣjAjσj)である。gを①のように表すことができる時,すべての点のまわりの様子は単位元のまわりの様子と同じなので,単位元のまわりの様子を調べて,それをリー群Gの元gによって写像することにより,一般の点での様子にすることができる。即ち,

特定のd次元パラメータ値A0=(A01,A02,A03,…,A0d)に対応するリー群の元R(A0)の近傍の元をR(A0 + λA) ≡ R(λ)とすると,

R(A0 + λA) - R(A0) ≒ (-iλΣdAjLj)R(s0)

が成り立つ。従って,λがゼロの極限を考えると,微分方程式

dR(λ)/dλ = (-iΣdAjLj)R(A0)  --②

を満足し,これを解くと,

R(λ) = Exp(-iλΣdAjLj)R(A0)  --③

となる。①式から,右辺のExp部分はリー群Gの元gそのものなので,単位元(R(A0))のまわりの様子を調べて,それをリー群Gの元g(右辺のExp部分)によって写像することにより,一般の点(R(λ))での様子にすることができる,ということが証明された。

(4)リー群の幾何構造

群構造に幾何構造を入れるとはどういうことかを説明する。

今,リー群の単位元近傍の元をR(A0)とすると,③によりgR(A0)で一般のリー群の元を表すことができる。幾何構造が何も無いということは,点Rがどこに進むのかが何も決まっていないことである。反対に,一般相対性理論では,なにも力が働かなければ「測地線」にそって物体は移動する,と定義する。測地線は時空のガウス曲率と定義することで移動の方向が決まり,そこに幾何構造が入ってくる。「測地線」にそって物体は移動することが定義されなければ一般相対性理論はなり立たないわけである。リー群の場合,何も力が働かなければgRに沿って進む,とすることで幾何構造をいれることにする。Rはλをパラメータとして②式を満たすので,②がRの軌道を決定する方程式であると考えることができる。従って,

初期条件R(0) = Iとすると

R(λ) = Exp(-iλΣdAjLj)

を導くことができる。また,以上の定義により,③式は一般に平行移動を表す式と解釈される(力が働かない場合の移動)。

(5)場の量子論での接続と曲率

前置きが長くなったが,内部空間での“平行”移動は③式によって表されることが分かった。

次に,内部空間点Pの状態ベクトルΨ(s)をs + dsだけ離れた点Qの座標系に平行移動させることを考える。Ψ(s + ds)は点Qでの平行移動後の状態である。“平行”移動は,元の座標系から見れば,一般には回転を伴っているので,Ψ(s)とは平行ではない。そこで,Ψ(s + ds)のΨ(s)への平行成分をΨ//(s + ds)と表すと,この部分がΨ(s)と“平行”移動したことになる。即ち,③式によって,

Ψ//(s + ds) = exp (-isΣdAjLj)Ψ(s) = (1-isΣdAjLj)Ψ(s)

sを4元ベクトル座標Xμになおして,

Ψ(s+ds) - Ψ//(s+ds) = {∂μ - Aμ}Ψ(Xμ)dXμ  --④

一般にAjはXμ毎に異なった値をとるので,Ajμとなり,「接続(Connection)」と呼ばれ,テンソル形式である

Aμ = ΣdAjμLjXμで定義し,「接続係数」と呼ばれベクトル形式である。物理的にはベクトルポテンシャルを表す。

A= ΣdΣμAjμLjXμは「接続形式」と呼ばれスカラー形式である。

また,DμΨ(Xμ) ≡ {∂μ - Aμ}Ψ(Xμ)で定義して,Dμを「共変微分」と呼ぶ。上記②式から,更にR,Sと回ってもとの点Pに戻ると,

Ψ(P) - Ψ(P) = 1/2*Fμν(Xμ)dσμνΨ(Xμ)  --⑤

となる。ここで,○はループを表し,dσμνはループの面積要素を表す。

Fμν(Xμ) = ∂μAν(Xμ) - ∂νAμ(Xμ)

であり,これは幾何学では「曲率テンソル」と呼ばれている
。物理学ではAμ(Xμ)を電磁気学のベクトルポテンシャル(但し,Ljは普通の数で,U(1)群)と呼び,Fμν(Xμ)は磁束密度を表す。従って,④の右辺はループを突き抜ける磁束そのものを表し,磁場が存在しない場合には内部空間は回転していないことを示し,通常の平行移動の概念が採用されることになる。

以上をまとめると,微分幾何学と物理学の対比として,

接続 = ベクトルポテンシャル(ゲージポテンシャル)
曲率 = 場の強さ(ゲージ場)

が成り立つことがわかる。
ホロノミー群の項のところで,f(γ)は接平面Tpのガウス曲率と閉曲線γにより定まるリー群である,と述べたが⑤式がそれの具体的な形である。

(6)Wilsonループ

波動関数Ψ0(x,t)がベクトルポテンシャルを考慮しない場合のシュレディンガー方程式の解となっている時,ベクトルポテンシャルを考慮した場合の解は,
Ψ(x,t) = Ψ0(x,t)eiS

S = ∫α βdx・A
----⑥

と表すことができる。即ち,元の解とは位相分が異なっているだけであり,全体の存在確率には影響がない。にも関わらず,電子の光源が点αでスリットにより分離され,ソレノイドの反対側の2つの経路(C1,C2)を別々に進んだ後,点βで再び一つになる時,そこに干渉パターンを見出すことができる。これはAharonov-Borm効果と呼ばれる。ソレノイドの外側にあるベクトルポテンシャルが,ソレノイドの内側に閉じ込められた磁場の存在とは関係がないにも関わらず,量子状態に直接影響を及ぼす現象としてよく知られている。

これは,⑥の式でいえば,SC1とSC2の差がゼロでないことが本質的である。この差は,

SC1-SC2= ∮Cdx・A
= ∫σ(∇ X A)dσ = B・σ(磁場の強さ)

であり,積分の中はゼロにならない。ここに,上記第2式はC1とC2を結んだループC上の線積分を表す。その値は,ストークスの定理により,ループCで囲まれた面積σでの磁場の強さを表す。これを4次元時空に拡張したものはWilsonループと呼ばれ,ゲージ場の理論に大変重要な役割を果たしている。

Wilsonループ = exp [(-2πie/h)∮CdXμAμ]----⑦

(6)ゲージ変換とゲージ不変量

Wilsonループは4元ベクトルポテンシャルのある場合の位相変化を表している。接続におけるWilsonループの性質を調べるために,ループを構成する無限小線積分(α→β)を考える。

W(C;A)= exp [-i∫αβdXμAμ]

Aがゲージ変換によりA'に変換されると,A’= A - ∇λにより,

W(C;A')= e-iλ(β)W(C;A)eiλ(α)

となる。これはユニタリー行列U(α)= e-iλ(α)とすると,

W(C;A')= U(β)W(C;A)U-1(α)

と表すことができ,波動関数の無限小平行移動の式③と同一である。具体的に,W(C;A)= 1-idXμAμである。 即ち,Wilsonループのゲージ変換は無限小平行移動を表すといえる。この無限小区間内はAの大きさ,方向等は一定であるが,有限の区間α(x) → β(x + dx)においては一般にAの値は変化する。その変化を表すために,A(x)と明記し,ゲージ変換によりAがどのように変換されるかを調べる。

W(C;A')= 1-idXμA'μ
= U(x + dx)(1-idXμAμ)U-1(x)
= U(x + dx)U-1(x) - idXμ[U(x + dx)AμU-1(x)]
= {U(x) + U'(x)dXμ}U-1(x) - idXμ[{U(x) + U'(x)dXμ}AμU-1(x)]
= 1 + {(∂μU)U-1}dXμ - idXμ{U + (∂μU)dXμ}AμU-1
≒ 1 + ((∂μU)U-1)dXμ - idXμ(UAμU-1)
= 1 + ((∂μU)U-1 - iUAμU-1)dXμ
= 1 - idXμ(i(∂μU)U-1 + UAμU-1)
が得られるので,次式が成り立つ。

A'μ = UAμU-1 + i(∂μU)U-1----⑧

⑧式で表されるようにAがゲージ変換される時,Wilsonループの値は不変である。Wilsonループは場の量子論における代表的なゲージ不変量である。

(2003年2月22日;第一版 Copyright 寒泉)