■ 量子テレポーテーション
量子情報処理の概要にも述べたが,最近の量子技術の目覚しい発展は,量子テレポーテーションの実験の成功により大いに加速された。以下に,東大の古沢等による実験の理論的説明と実験結果を説明する。量子テレポーテーションの簡単な理論的背景は概要を参考にして欲しいが,簡単に定義を再掲する。
量子テレポーテーションとは,情報の送り手(通常Aliceと呼ぶ)が,遠隔地にいる情報の受け手(通常Bobと呼ぶ)に,ある量子状態(波動関数)を伝送する方法のことである。送られる量子状態は,Aliceのところで行われる“エンタングルメント測定(またはベル測定)”により消滅(崩壊)し,遠隔地のBobにより再生されることから“テレポーテーション”と名付けられた。AliceとBobがあらかじめ共有している量子相関(EPR相関又はEPRペアともいう。詳細はベルの定理を参照)のある光を通信チャネルとして用いることがミソである。
[1] 送信者Aliceは,送りたい量子状態|φ>Aと最大にエンタングルメントした状態(ベル状態)
|ξ>AB = |Φ+>AB = (|00> + |11>)/√2
を通信チャネル|ξ>ABとして,ベル合同測定する。ベル合同測定とは,2量子ビットでのベル状態|Φ+>,|Φ->,|Ψ+>,|Ψ->を基底に用いた測定方法をいう。測定前は量子状態|φ>Aと通信チャネル|ξ>ABはエンタングルしていない積状態にあるが,測定によりベル基底のどれかの状態を得ることになる。
[2]送信者Aliceは,{|Φ+>,|Φ->,|Ψ+>,|Ψ->}のうち,どの結果を得たかを,古典的な通信手段により受信者Bobに連絡する。
[3]受信者Bobは,古典情報を取得後,状態を測定し,結果に対して{|Φ+>,|Φ->,|Ψ+>,|Ψ->}に対応する復元操作を行う。復元操作は,{|Φ+>,|Φ->,|Ψ+>,|Ψ->}に対応したパウリ演算{I,σz,σx,σzσx}により行われる。演算の結果は全てα|0>+β|1>になるので場所Bにて場所Aの状態が再生できるのである。
以上の概要のなかで,実際の実験上の課題として,“最大にエンタングルメントした状態(ベル状態)を作るには,無限のエネルギーを必要とするので実際的ではない”ということが挙げられていた。しかし古沢等は,“光の2モードスクイーズド状態”がEPR相関を作り,これを通信チャネルとして,最大でないエンタングルメントした状態でもAliceよりの入力状態の一部をBobのもとで再現(Fidelityが0.58)することに成功したのである。古典的な通信ではFidelity(元の状態の復元割合)が0.5以上にできないことが示されている。以下に詳細を説明する。
(1)量子状態の情報
送信者Aliceのもとには,送りたい量子状態|φ>Aがあるのだが,そもそも送ることができる“量子状態の情報”とは何であるのか?量子状態を指定するのに,一般によく使われているのは共役物理量,例えば(位置X,運動量P)のセットである。しかし,よく知られているように,ハイゼンベルグの不確定性原理により,電子一個について同時に(X,P)を測定することはできない。しかし,電子が二個の場合,X1 - X2(相対距離)とP1 + P2(系の全運動量)は互いに交換し,従って同時測定が可能である。そこで,Aliceのもとに(XA,PA)のEPRペアの一端を用意し,これとVictorからの量子入力状態(XV,PV)を相互作用させ,相対距離と系の全運動量を測定する。これが上記簡略説明[1]の具体的内容である。測定で得た結果を古典的方法(電話等)でBobに連絡し(上記簡略説明[2]),Bobは連絡された結果に対応する適当なユニタリー変換を施す(上記簡略説明[3])ことによりにVictorからの量子入力状態の一部を再生できるのである。
(2)エンタングルメント測定
実際の実験は電子ではなく光子を使って行われた。この場合,“光の位置”Xとは何を意味しているか?運動量Pは光の圧力等から,測定可能であろうことは想像に難くないが,位置とは何なのか?
M.D.Reid(Phys.Rev.A40,913(1989))によると,Z方向に進む単一モードで直線偏光の平面波は,古典電磁気学のアナロジーで,
E(t,z)=iε{ae -i(wt - kz)-a†e i(wt - kz)}
と書ける。ここで,a,a†は消滅,生成演算子である。ここで,
x = (a + a†)/2, p = (a - a†)/2i,
とおくと,
E(t,z)=2ε{x*sin(wt - kz) - p*cos(wt - kz)}
となる。これは,正弦,余弦関数を用いた直交位相表示と呼ばれ,x,pの部分が共役物理量となっている。即ち,「位置」及び「運動量」と等価の関係と見なすことができる。また,xとpの間には90°の位相差があり,それらの検出はホモダイン検波により容易に達成される。古沢等は,このxとpを,具体的にはXV - XA(相対距離)とPV + PA(系の全運動量)を測定したのである。
古沢等の実験の手続きは以下のようであった。
[1]まず,Alice(A)とBob(B)の両者でEPR相関のある光を共有する。EPR相関のある光は,“2モードスクイーズド状態”の光が用いられ,それはFock表示で
|EPR(A,B)> = (1 - q2)1/2Σn = 0∞qn|n>A|n>B
と書くことができる。ここでqはエンタングルの状態を表すパラメータで,1に近づくほどエンタングルの程度はあがる。|n>A,|n>BはそれぞれA,B地点での光子数である。最大にエンタングルした状態ではqは1であるが,有限の|EPR(A,B)> を保持するためにはn → ∞であり,非現実的である。実際の実験ではq=0.33(3dB)が用いられた。現在の技術レベルではq=0.82(10dB)まで可能と言われている。(Furusawa, et. al arXive:quant-ph/0104014v3)
[2]次に,Victor(V)から入射した,送ろうとする量子状態|ΨV>(即ち,XV + iPV)とAlice側のEPRペア(ビーム)(即ち,XA + iPA)を50%の反射・透過率を持つハーフビームスプリッターで混ぜ合わせる。Aliceは,ハーフビームスプリッターの2つの出力光をそれぞれ局部発振光と混ぜ合わせ,ホモダイン検波を行い,独立な変数,
X-= (XV - XA)/√2
P+= (PV + PA)/√2
を測定する。これらの2つの変数の測定値を複素数表示でまとめて,β = X- + iP+と書くことにする。これらの測定値を与える固有状態はFock表示による光子数状態を用いて
|β(V, A)> = Σn = 0∞DV(β)|n>V|n>A/√π   --①
X-|β(V, A)> = Re(β)|β(V, A)>   ---②
P+|β(V, A)> = Im(β)|β(V, A)>   ---③
と書くことができる。ここで,DV(β)は変位演算子で,入力場Vに作用して,
DV(β)= e 2iIm(β)XV - 2iRe(β)PV
D†V(β)XVDV(β)= XV + Re(β)
D†V(β)PVDV(β)= PV + Im(β)
を与える。変位演算子は,真空|0>からコヒーレント状態|α>を生成する。具体的には,
|α> = D(α)|0>
D(α)= Exp (αa† - α*a)
で,振幅変位αの状態を作り出す。また,明らかに,ユニタリー演算子でもある。
②,③は,状態|β(V, A)> はX-とP+の同時固有状態であることを示している。そして①より,状態|β(V, A)> はエンタングル状態Σn = 0∞|n>V|n>Aなので,測定すること自体が(つまり|β(V, A)>に射影すること)新たにエンタングル状態を生成することを意味しているのである。これがエンタングルメント測定と言われる理由である。
この測定した情報をAliceはBobに古典チャネル(電話等)で伝え,その情報をもとにBobがユニタリー変換を施すことで,入力状態|ΨV>を再構成するのである。
ここで注意すべきは,Aliceは入力状態|ΨV>に関する情報は何も得ていない,ということである。不確定性原理により,|ΨV>のうち,XV ,PVのどちらかの状態を測定するとその量子状態は壊れ,もう片方に関する情報を得ることはできない。従って,|ΨV>を直接測定するわけにはいかないが,EPR相関のある光と混ぜ合わせて測定することで,巧みにこの問題を回避している。
(3)移行演算子
EPR相関を用いてV,A間のエンタングルメント測定をした瞬間に,遠くに離れたBでの光の状態は,Victor,Alice,Bobの3人の複合状態
|ΨV>◎|EPR(A,B)>
の|β(V, A)>への射影(即ち,固有状態への収縮)になり,
|ΨB(β)> = <β(V, A)|ΨV>◎|EPR(A,B)>
= <β(V, A)|(XV + iPV)>|EPR(A,B)>
= {(1 - q2)/π}1/2*Σn = 0∞qn|n>BA<n| DV(-β)|ΨV>
となる。この式により,Bobの状態|ΨB(β)>は,入力状態|ΨV>が-βだけ変位したものにほぼ等しいことがわかる(特にqがほぼ1に等しい時)。つまり,Aliceのエンタングルメント測定により,理想的には,送りたかった状態|ΨV>がユニタリー変換(変位-β)された形で,Bobのところに「伝わった」のである。
このBobの状態|ΨB(β)>をユニタリー変換DV(β)により変位をβだけずらしてやれば,もとの状態を再構成できることになる。従って,テレポートされた状態を|ΨOUT(β)>とすれば,
|ΨOUT(β)> = DV(β)|ΨB(β)> = T(β)|ΨV>
= {(1 - q2)/π}1/2*Σn = 0∞qnDV(β)|n>BA<n| DV(-β)|ΨV>
となり,この T(β)
= {(1 - q2)/π}1/2*Σn = 0∞qnDV(β)|n>BA<n| DV(-β)
を移行演算子と定義する。T(β)は量子テレポーテーションの過程が一つに集約された演算子であり,エルミート演算子になっている。特にq=1の時は|ΨOUT(β)> = |ΨV>であるからT(β)は恒等演算子のように振る舞う。実際にはq < 1なので,qnの影響により光数の多い状態に関する「情報」は消滅してしまっているといえる。つまり,入力状態の情報が完全にはBobに伝わっていないことを意味している。
(4)フィデリティ
上述のように,無限にスクイーズされた状態は現実には用意できないので,再現された状態|ΨOUT(β)> は入力状態 |ΨV>と完全に一致するわけではない。
両者の一致の度合いを表す情報の忠実度を表すフィデリティという量F(β)を以下のように定義する。
F(β)= |<ΨV|ΨOUT(β)>|2 / |<ΨB(β)|ΨB(β)>|
|ΨB(β)>は規格化されていないので,実際のフィデリティは以下のように平均値で求める。
Fav. = Σav.F(β)|<ΨB(β)|ΨB(β)>|
= Σav.|<ΨV|ΨOUT(β)>|2
= Σav.|<ΨV|T(β)|ΨV>|2
これは,出力状態|ΨOUT(β)> = T(β)|ΨV>に関する密度行列
ρOUT = T(β)|ΨV><ΨV|T(β)
を用いて,
Fav. = Tr(ρOUT)
= Σav.|<ΨV|T(β)|ΨV|2
と表すことができる。
古沢等の行った実験は,変位βが連続量であるため,「無限次元(連続量)量子テレポーテーション」と言われる。一方,冒頭に説明した,理論的には簡明な方式は,「2次元量子テレポーテーション」と言われる。「2次元量子テレポーテーション」が実験で成功した,という論文(D.Bouwmeester, et. al Nature 390 575(1997))もあるが,古沢等からの指摘によれば「致命的誤り」があるとのこと。しかしながら,理論の簡明さもあり,現在でも相当の論文引用があり,これが現在の研究・普及活動の最大の障壁との由である。
古沢等の理論の素晴らしさは,エンタングルメント測定の説明において,
・ 状態|β(V, A)> がX-とP+の同時固有状態であることを明示し,かつ,
・ 状態|β(V, A)> はエンタングル状態Σn = 0∞|n>V|n>Aなので,
・ 測定すること自体が(つまり|β(V, A)>に射影すること)新たにエンタングル状態を生成する
ことを分かりやすく説明している点にあると個人的には考えている。なぜなら,「2次元量子テレポーテーション」では観測による固有状態への収縮は説明できないように思われるからである。それを指摘する論文(G. Adenier, arXiv:quant-ph/0105031v3)もある。今後の古沢グループの活躍に期待したい。
(2002年3月17日;第一版 Copyright 寒泉)