■ 量子測定


量子測定・観測の問題については量子力学の誕生以来多くの議論がなされており、いまだ全員が一致して支持するような理論はできていない。量子状態の観測には、歴史的に主要な2つの主張が存在する。ひとつは、ボーアを筆頭とするコペンハーゲン学派であり、他の雄はノイマン理論である。近年になって、ノイマン理論を発展させたエベレットによる多世界解釈(量子状態が無限に枝分かれしていく、観測は「レコード」として記憶される)や、ペレスによる測定装置と量子系のデ・コヒーレンス理論がでてきたが、いずれも全てを完全に説明できていない。

従来の主流派であるボーア派の主張は以下のとおりである。

測定とは、波動関数を非可逆的、非因果的にひとつの固有状態に射影すること であり、それは「古典的」な観測装置との相互作用によってもたらされる。これは、波動関数の収縮と呼ばれ、公理的に受け入れられてきた。

ここで、古典的な観測装置とは、「確実な値」を示すポインター変数を持ち(例えば体重計の針)、量子的な重ね合わせのようなものは反映できない装置をいう。

(1)ノイマン測定

一方で、量子力学が確固たる基盤であるならば、抽象的な「非因果的な収縮」ではなく、2個の物理的な量子状態の相互作用、つまり、観測される量子系Qと測定装置A(アンシラという)の相互作用、として記述できることも否定はできまい。ノイマンはこの点を主張した。ノイマンによれば、一般に観測は以下の「測定」と「観測」という、ふたつのStepを通じて行われる。

Step1.量子測定

測定される量子系をQとし、Qが測定装置A(アンシラ)と相互作用を行う。
Qの状態を|x>とし、Aの初期状態を|0>と設定する。測定前の結合した量子系QAは
t=0> = |x>|0> ≡ |x, 0>

と表すことができる。ノイマン測定は、以下の相互作用ハミルトニアンによるQAのユニタリー変換を通じて記述される。

H = -XQPA

ここに、XQは測定に対応するオブザーバブルを、PAは測定結果を反映する 自由度の数に共役なオペレータを表し、Pの作用の結果、状態に応じたポインター値を示す。相互作用ハミルトニアンHにより、量子状態は時刻 t 後にはユニタリー変換U(t)=Exp(-iHt)に従い遷移する。t を1にとれば、

t=1> = EXP(-iH) |x, 0> = EXP(iXQPA) |x, 0>
=eixPA|x, 0> = |x, x>

このようにして、最初はゼロを指していたAのポインタは相互作用の結果、値xをとる。ノイマンによれば、これは測定によりQとAの間に相関が導入されたことを意味している。しかしこれは、更に厳密に言えば、古典的な相関といったものを超えた概念である「量子絡み合い」というものをユニタリー変換がもたらした、ということができる。

ユニタリー変換U(t)=Exp(-iHt)が「量子絡み合い」状態をもたらすことは、初期状態が|x+y, 0>である場合を見れば一層明らかである。即ち、

t=1> = EXP(-iH) |x+y, 0> = EXP(iXQPA) |x+y, 0>
=eixPA(|x, 0> + |y,0>)= |x, x> + |y, y>

|x+y,0>は、線形であるので、|x+y, x+y>とはならずに、|x, 0> + |y,0>になるからである。|x, x> + |y, y>という形は分離した積では書けないのでエンタングルした状態(量子絡み合い状態)である。量子測定は、ユニタリー変換により、測定対象系Qと測定装置Aの量子絡み合い状態に遷移する、というのがStep1の結論である。

Step2.観測

次のステップは、量子絡み合い状態になったQAを、意識のある観測者が観測する(または、記憶装置を持った測定機器を使って観測する)ことである。このステップが測定問題の当初よりの議論の的であった。歴史的には、この難問は次の質問に要約される。

質問.観測のどの時点にて、確率として表されている量子系の固有状態が実現化するのか?

この解釈の部分において、最終的にノイマンはボーアの主張(波動関数が収縮すること)を認めざるをえなかった。即ち、

「観測という操作は、測定(Step1)とは異なり、非可逆的かつ非因果的なものである」

一見すると、「初期には重ね合わせ状態にあった純粋状態が、ユニタリー変換では記述できない混合状態(ここですべての取りうる可能な結果が表されている)に発展している」ように見えるのは、逃れがたい結論のようにも思える。
まず、量子系と測定装置が絡み合った複合系の混合状態は、測定装置または巨視的環境について部分トレースをとることによって得られる、と考えられる。しかし、巨視的システムの部分トレースをとることは複合系のエントロピーを増加させることであり、必然的に非可逆的な過程である。従って、この過程はユニタリー変換では表すことができないのである。

この理論は、量子測定の非可逆的な性質はよく説明しているが、非因果的な波動の収縮を説明できてはいないし、従ってシュレディンガーの猫のパラドックスを説明することはできない。このように、観測をも含めた量子測定をユニタリー変換による発展として記述することでの困難さは、ブラックホール理論から量子光学にいたるまで、あらゆる物理の分野に及んでいる。

しかしながら、ユニタリー変換を放棄して解釈する試みの多くは、このStep2の解釈での誤解に基づいている。その誤解は更に遡って、量子絡み合い状態は、それが分離不可能という観点において、そもそも決して古典的な概念で理解されるものではない、ということを充分理解していないことに起因している。絡み合い状態の部分システムだけを観測すること(残りのシステムについては部分トレースをとることにより無視すること)は、実際、状態の出現確率にある影響を及ぼし、そうでない場合と明らかに異なる。この状況は、近年導入された量子情報理論(QIT)によりはじめて明らかにされた。

大変驚くべきことだが、最新の量子情報理論によれば、複合量子系は「最大に絡み合った状態(ベル状態)」において、条件付エントロピーはマイナス1の値を持つ。条件付エントロピーとは、ベイズの定理における条件付確率に相当するエントロピーで、複合量子系ABにおいて、状態Bが知られた時の状態Aがもつ「不確かさの程度(情報量)」を表す。古典的情報理論では、条件付エントロピーはゼロ以上で、ゼロの場合は全く相関関係があり、1の場合は全く独立であることを表す。条件付エントロピーがマイナスというのは古典理論を超えており、完全に量子力学的な効果であると解釈できる(量子絡み合い)。

(2)量子情報理論による測定プロセス

最新の情報理論の結論によれば、量子測定のプロセスは以下のように解釈される。

量子系Qと測定装置A、A'の複合系を考える。シュテルン・ゲルラッハのスピン測定実験を例にすれば、Qが電子ビーム、Aが不均一磁場装置、A’は後方のスクリーンが相当する。ここでポイントなのは、

「観測とはAA'の相関を測定すること」

である。決してQを観測するのではなく、またQAの相関を観測するのではない。逆説的だが、Qを測定するとは、QAA'の系においてQの部分トレースをとり、Qについての知識は無視することである。このとき、全系のエントロピーをS(QAA')、混合状態AA'のエントロピーをS(AA')、AA'であることが判っている場合にQである条件エントロピーをS(Q|AA')とすると、以下の関係が成立する。

S(QAA') = S(AA') + S(Q|AA')

ここで、系QAA'がEPRエンタングルメントの場合、条件エントロピーはマイナスであり、即ちS(Q|AA')<0、混合状態AA'を測定し、エントロピーS(AA')が増加しても、全系エントロピーS(QAA')は変化せずゼロのままである(注意:QAA'は純粋状態なので、そのエントロピーはゼロである)。即ち、

「観測によって波動は収縮せず、全系エントロピーは保存されている」

ということが結論できる。測定によるエントロピー増加を条件エントロピーS(Q|AA')が相殺し、全系のエントロピーを保存しているのである。またこの時、部分トレースされなかったS(AA')はエントロピーが増加し、完全ランダム混合状態である。

逆説的な結論「Qを測定するとは、QAA'の系においてQの部分トレースをとり、Qについての知識は無視すること」は、量子測定に対する新しい見方を提供してくれる。この結論によると、観測・測定対象の実態は問題ではなく、測定装置との「絡み合い」(QA)と「相関」(AA')のみが問題である。この新しい量子情報理論は、シュレディンガーの猫のパラドックスを完全に説明できる。これを理解することは、観測・測定問題の理解を大いに深めてくれるので、参考として紹介したい。

(3)シュレディンガーの猫

シュレディンガーの猫のパラドックスは、崩壊する原子から放射される量子(ここでは光子)が、劇薬の入ったビンを破壊し、もしそれを浴びた猫は瞬時に死んでしまう、というストーリーである。これらの一連の装置は覆いで囲われており、観測者は覆いを取らない限り中を確認できない。このとき、原子と劇薬と猫の状態を波動関数として表した場合、猫が生きている状態と死んでいる状態が「重ね合わせ」状態で表される。しかし、覆いを取った瞬間に、猫は生きているのか死んでいるのか、どちらかの状態であり、その中間状態は存在しない。つまり、波動関数が収縮してしまうのである。
最新の量子情報理論は以下のように説明する。

まず、原子と光子の重ね合わせ状態を以下のように表す。Q*は原子が励起された状態で、光子はまだ放出されていない。Qは原子が崩壊した状態で、光子は1個放出されている。重ね合わせ状態は、

0> = (|Q*, 0> + |Q, 1>)/√2

のように絡み合った状態で表される。この状態では「原子が崩壊した状態」で「光子はまだ放出されていない」ということはなく、「原子が励起された状態」で「光子は1個放出されている」という状態も無い。そして、純粋状態なので全系のエントロピーはゼロである。

次にStep2の観測過程に入ると、猫を構成している多数の原子は光子とユニタリー相互作用し、EPR-n多重項を作る。しかし依然として全系は純粋状態なので、そのエントロピーはゼロである。問題を単純化するために、猫の量子状態を2値の変数、即ち「生きている」固有状態Lと「死んでいる」固有状態Dで表すと、全系の波動関数は、

1> = (|Q*, 0, L> + |Q, 1, D>)/√2

ここで原子に対する部分トレースを取る。なぜなら、実験は結局は猫の状態をモニターすることであり、原子の状態ではないので、原子についての情報は不要だからである。そうすると、多数の猫の原子が光子と相関関係を持つ縮約された密度行列を得ることができる。

ργ, cat = (|0, L>< 0, L| + |1, D><1, D|)/2

この密度行列によるエントロピーの値は1であることに注意して欲しい。結果として、「生きている状態」と「死んでいる状態」がそれぞれ確率1/2で、完全にランダムな状態が得られているからである。即ち、エントロピーの値1は完全ランダム混合状態を作り出したのである。

覆いを取り外して、中にいる猫を観察することは、|ψ1>と観測者(Observer)がユニタリー作用によりEPR-n多重項を作ることである。Lの時にはl(生きていること)を認識し、Dの時にはd(死んでいること)を認識する状態に観測者は遷移する。この場合の全系は、

2> = (|Q*, 0, L, l> + |Q, 1, D, d>)/√2

であり、原子についての情報は不要とした場合の密度行列は、

ργ, cat, obs = (|0, L,l>< 0, L,l| + |1, D,d><1, D, d|)/2

となる。観測者はこの状態において猫が死んでいるのか生きているのかを認識するに至り、古典的な相関関係を扱う世界に立ち返ることになる。しかしこの場合においても、|ψ2>はあくまで純粋状態であり、覆いを取り外し、原子の状態を部分トレースすることで完全なランダム混合状態ργ, cat, obsが得られたことに再度注意されたい。

(2003年8月10日;第一版 Copyright 寒泉)